【プロローグ】

いよいよ、このカテゴリーのタイトル「1971」に相応しい連載を始めます。1971というのは自分が生まれた年を示す数字です。この数字が象徴するようにこの連載では僕自身のごく個人的な話を書き下ろす予定ですが、そのヒントは1年前に本棚で見つけた古い手帳に書いてあったメモから得ています。

時を遡って、約10年前のある時期。僕はNHKのドキュメンタリーの仕事を担当していました。とある日本の映画監督が出演されていて韓国の映画界とアニメ界を取材し、その関係者達と交流をするような内容だったと覚えています。

1時間尺のドキュメンタリー番組だったが、連日朝は早いものの日が暮れると取材出来るネタが殆どない程ゆったり目のスケジュールだったので、夕食後は皆で次の日の打ち合わせをしつつお酒を飲みながら世間話をすると言った余裕たっぷりの仕事でした。

しかも、中学生の頃から映画マニアだった僕としては現役の映画監督さんと毎日会話が出来るチャンスだったのでシナリオの書き方を聞いたり、映画の現場にまつわる話で連日大いに盛り上がっていました。そうやって一週間が経ち、今度は監督さんが僕に色々を質問をぶつけて来たのです。

「ぺ君はなぜ日本で留学をしたのか?」、「ぺ君の目に写った日本ってどういう国だった?」など映画監督らしい鋭い質問に一生懸命答えようをやや調子に乗って、父が日本で生まれた在日韓国人だった影響で幼年期から自然と日本の文化に馴染んだ環境で育った事やら、19歳で日本へ渡り30歳まで滞在していた話をざっくりと語り上げた事です。

その中で一番受けていた話が約3年前にこのサイトに書いたばあちゃんに関する話です。監督さんは満面の笑みで「この話は短編映画のネタになれる貴重な体験」だと言っていましたね。そして、「ぺ君が育った環境は一般の人がそう体験できない事だと思うので、どんな形でもいいからちゃんとした文章にまとめて記録しといた方がいいよ」と忠告してくれました。

上記の古い日記のようなメモに書いてあった内容をモチーブにして、その間、自分なりに構成を考えていました。この一ヶ月間、躊躇してしまったとこもあり、スタートが遅れた感はありますが、腹を決めたからには堂々と図々しく書きますよ。(笑)

だって、人生は一度きり!
ネットのどっかの端っこに自分が生きて来た「しるし」は残して置きたい!
それでは毎週水曜日に更新します。

ABOUTこの記事をかいた人

マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
「韓国のこんなことが知りたい」という方はメール下さい。