【第6回】オンマとハルモニ、そして坊主頭の山賊

母は1947年に「馬山・마산」という街、分かりやすく言えば、釜山から約50㎞離れた地域で生まれた。幼い頃から伝統舞踊を習えるほど裕福な家庭で生まれ育ったが、4歳の時に朝鮮戦争が勃発。戦争中の爆撃で家が全焼。更に避難生活の最中にほとんどの家族を失い、休戦後はお母さんの手に引かれてソウルへ移住する事になる。従って、母方の祖母は女手一つで長年苦労を重ね一人娘を育て上げたわけである。

전통무용

幼年時代に伝統舞踊を習っていた母

母のお母さん、つまり僕にとって母方の祖母はかなり教育熱心な親だったそうだ。

「女性も勉強をしないと生き残れない時代がやって来る」と、当時にしてはかなり洗練された考え方の持ち主だったらしく、一人娘を学費がべらぼうに高い私立中高に通わせる親バカぶりを見せていた。更に一人娘には洗濯や掃除などの家事手伝いを一切させなかったという。まぁ客観的に考えて、祖母は当時の韓国社会に蔓延していた「男性優越主義」に真っ向から抵抗してた「新式女性」だったと予測する。

そんな「女性優先主義」とも言える恵まれた環境で育った母は伸び伸びと学業に専念し、美大への進学を目指すのだが、いざ大学進学となるといくら教育熱心な祖母でも屋台経営の暮らしでは断然お金が足りない。祖母は悩みに悩みぬいて、一人娘が高校卒業を控えたとある時期、こんな結論を出す。

「美大進学を諦めろとは言わない。私が1年間一生懸命に働いてお金を貯めるから、あんたはその間、絵の練習をすればいい。1年後、何が何でも、必ず大学へ入学させてやるわよ」。

何て頼もしい母親なんだろうか。

학교

当時の韓国ではかなり珍しかった男女共学の中高に通っていた母

運命的な出会いは友達の妙策から生まれる

「新式女性」を標榜していた祖母であったが、どうやら男女関係にはかなり厳しかったようだ。いつも口癖のように「外では知らぬ男と言葉を混ぜるんじゃない」と念を押していた厳しい顔も持っていたという。まぁ、儒教思想溢れる60年代初期の韓国である。女性歌手のミニスカート姿で全国がパニックに陥る時代でもあったので無理もない。

一方、思わぬところで1年間のブランクを迎えた19歳の娘。友達の仕掛けではあったが、人生初でお母さんの厳しい鉄則を破る事になる。

その友達の方。母の中高時代の同級生で大親友。裕福な家庭のお嬢様だった彼女は当時の女性たちの羨望の的でもあった某女子大への進学を既に果たしており、なんと映画俳優の彼氏までいたという。そして、偶然にもその彼氏の方が父の飲み仲間であったのだ。

俳優さんは、会う度に結婚がしたいと吠えていた父を助けようと、彼女と手を組みある妙策を考え出す。彼女の親友である母をさり気なく食事に誘って、さり気なく父に合わせ、さり気なく付き合って貰おうという大作戦。このさり気ない作戦のお陰て父と母は初めて顔を合わせるようになる。

친구

一番右の方が「さり気ない作戦」を考え出した母の親友です

第一印象は『めっちゃ怖い人』

そんな訳で親友のカップルに誘われ、某レストランで食事をとりながら談笑をしていた母だが、いきなり変な男が現れて隣の椅子に腰を下ろすのである。

親友 「あのさ。この人、私たちが誘ったの。有名な野球選手よ。野球って知ってるでしょう?」

  「や・・野球って何?」

一同 「・・・・・・・・」

俳優 「野球っていう人気スポーツがあるんだよ。ははは」

  「私、スポーツの事は何も知らないの」

一同 「・・・・・・・・」

何と言っても、家と学校しか知らなかった超真面目な人。野球の「野の字」も聞いた事のない世間知らずの女子。それに学校以外で真っ赤な他人である男性とはしゃべった事すらない。更に隣の坊主頭(運も悪くスランプに陥って丸坊主にしていた父)で体のデカい山賊みたいな人がめちゃくちゃ怖い。

何よりもよその男と同席していた事がお母さんにバレたら「フクロ叩き」にされること間違い無し。それこそ人生初で体験する「非常事態」でもあってので一刻も早くその場を逃げ出したいとハラハラしていた母であろう。

一方、父の方は、その場で結婚を決心するほど、母にとことん惚れ込んで、メロメロの状態。あらゆる手を使って好感度アップを試みるが、リアクションなんぞなく、ぎゅっと口を結ぶ女の子。

結局、その日は母の消極的な態度で、初対面の食事会はなんとなく気まずい雰囲気のまま終わる。

その後の父と言えば、一度だけでもいいから、またあの子に合わせてくれと飲み仲間の男優さんにぶらさがりで強請るばかりの毎日。

そんな父とは打って変わり、連日のように掛かって来る親友の電話に出ては「あんな怖い山賊には2度と会いたくない」という確固たる信念で、繰り返し「NG」を出す母であったのだ。

さて、坊主頭の山賊、いえいえ、坊主頭の野球バカはどうなるのだろうか・・・

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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