【第14回】小学5年ぺの目に写った日本

日本に着いた翌日。おばちゃんの住んでいる五反田駅の付近の住宅街をぶらぶらすることで小学5年ぺの『ジャパン探検』はスタート。そして、その後の1ヶ月間の滞在で体験した日本という国は、目に触れるモノすべてが珍しい『新奇な世界』でもあった。

家族で住宅地を歩いていると真っ先に目についたのが、道端に置いてあったテレビ。僕は思わず「えっ?父ちゃん、こんなところにテレビが置いてある。これ韓国へ持って帰ろうよ〜」と言ってみたが父はスルー。さらに捨てられたスキーを発見して、はしゃいでいると、「そんなん、いらなくなって捨てたモノだから触るんじゃないよ」とイラついた顔の父に叱られた。しかし、まだ使えそうなテレビとスキーを捨てるなんて。当時の僕には不思議で堪らなかったな。

すべてが自動、自動、自動

さらに、僕の子供の心に衝撃だったのは、韓国ではどっかの大型病院で一台見たかどうかの『自動販売機』。人通りが多い駅前は勿論のことだが、なんと静まり返った住宅地の道端の隅々にも様々な種類の自販機が置いてあるのではないか(まぁ韓国で缶コーヒーがはじめて市販されたのが、1985年なので無理もない)。

その後も僕の目の前に次々と現れる『日本の自動システム』にはびっくり仰天。

市内バスの入口が『自動』で開き、運転手さんの隣に置いてある箱に紙幣を入れると『自動的』に小銭がパラパラと落ちてくる。さらに降りる前にボタンを押すとチャイムがなり、余地なく出口も『自動的』に開いたのある(いやいや、韓国の市内バスの中にいる案内員はなんだったのだろうと思った僕)。

それにタクシーのドアも『自動』。電車の切符も『自販機』で買える。そして、おばちゃんが経営していた焼肉屋の入口まで『自動ドア』だったのはショックそのモノ。

このように滞在数日間で、僕の目に写った日本は、まさにマジックのような『自動の国』であった(当時の日韓の経済レベルの差は約20年の開きがあったと言われる)。

はじめて覚えた日本語は『スミマセン』

日本滞在も1週間を過ぎた頃、今度は自分の耳によく入る日本語の言葉があった。それは、おそらく僕がはじめて覚えた日本語でもあり、1ヶ月間で1000回は聞いたのであろう『スミマセン』

ある日、家族とバスの中に立っていたら、我々の後ろを通る人みんなが『スミマセン』と言って頭をさげるのに気付いた。それは電車に乗っている時も一緒で、僕が立っている前の席に座っている人が起き上がる時も、大混雑のデパ地下でも、大晦日の浅草でも、とにかく1日数十回が聞かされたのであろう。

どうも不思議に思った僕は電車の中で父に質問をしてみた。

「父ちゃん、スミマセンってどんな意味?」
「うーむ、それは人に謝る時、使う言葉だね」
「え?でも先の人、僕に何の悪い事もしてないよ」
「あ、韓国語で실례합니다(失礼します)と同じ意味でもあるよ」
「僕の後ろを通るだけなのに、どうしてそんなことを言うの?」
「……。ちょっと、お母さん」

今でもそうだが、何かにハマると徹底的に追及をしてしまう僕。父はこんな僕が面倒臭くなった時、必ず「ちょっと、お母さん」と母に助けを求めていた。つまり、「こいつをはよ〜何とかしてくれ」という合図だったのである(笑)。

そしたら、母は「ヒョンちゃん、お父さんを困らせてはいけないでしょう」と言い、さらに「あの、日本の人が『スミマセン』とよく言うのは『日本の文化』なのよ。多分ヒョンちゃんが大人になったら理解できると思う」と優しく説明してくれた。

この『スミマセン文化』。母の言葉通り、僕が19歳になって日本で暮らし始めた頃にやっと理解したのである。その『スミマセン』が示すのは、『少しでも他人に迷惑をかけることを極端に避ける日本人の傾向』ではないかと今でも信じ込んでいる。

고라쿠엔

後楽園遊園地にて

次回の連載は1月20日(水)に更新予定です。

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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