【第17回】隣の家のヌナとヨンピルオッパ時代

この連載を始めた頃は父の精子に過ぎなかったのであろう『子ぺ』はすくすくと育ち、いつの間にか小学6年生に。まぁこの時期から同じクラスの女の子たちをだいぶ意識するようになったり、『チン毛』が何本か生えてきたのを大いに喜んだりしてたと覚えているのだが…そんなことはさて置き。当時、隣の家に住んでいた変わり者のヌナについて書いてみよう。

「きゃー、何してるんだよ〜父ちゃん、いっててて、痛いよ〜」

またもや隣の家から悲鳴が聞こえてきた。一ヶ月に1〜2度は必ず我が町に響き渡るあの咆哮に近い悲鳴の持ち主は「チョ・ヨンピルさんと結婚するのが人生最大の目標」だと口癖のように言っていた『隣の家のヌナ』であった。

隣の家のヌナ

その次の日。放課後に何の予定もなく家の外に座り込んで鼻を掘ってたら、「おい、チビ。何してんの?」と誰か声をかけてきた。「は? クラスで一番身長の高い俺様に向かってチビだと? お前は誰だ?」と振り向いたら…。

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隣の家のヌナが『こんな凸凹の頭↑』で突っ立っていたのだ。

決して美人ではないお顔。引き目のメガネにカギ鼻。170を軽く超える身長にその頭だったので、一瞬『マジンガーZ』と戦う怪獣のような容姿に見えてしまったのだが…まぁそれは良しとして。

「え〜!? ヌナ、髪の毛はどうしたの?」

「またオヤジにやられちまったよ。あの野郎、またハサミで切りやがって…」

「あいご〜大丈夫?」

「まぁ髪の毛はまだ伸びてくるし、屁でもないのさ」

なんてメンタルの強い人だろう。この人は大統領にだってなれるかも知れないと感心してしまった僕。そしてその間の事情を聞いてみたら、新アルバムを発表してカムバックした『ヨンピルオッパ』を追っかけて、一週間ほど家出をしてきたという。

「どこで寝泊まりしていたのか?」と聞くと「ヨンピルオッパが住んでいるアパートの地下にあるボイラー室で寝てたのさ」と自慢げに打ち明けるブス…いやいや、ヌナ。

「あのさ、そんなことはどうでもよくって。これ、このアルバム。オッパのサードアルバムだけど、もう宝箱のように美しい音楽が盛りたくさんなのね。まず、最初のトラックは哀切なバラードで、次の曲はオッパが最もやりたがっていたロックソングで…(省略)…」

僕は内心「何で俺に一々ブリーピングをしてるんだろう?」と思ったのだが、LPを片手にマシーンガンのような調子で喋りまくるヌナを引き止める隙間なんてない。結局ヨンピルさんの新アルバムの発表会のような説明を気が遠くなるまで延々と聞かされてからようやく家に戻れたのである(俺はなんて我慢強い奴なんだ…と自分で自分を褒めた)。

80年代の『韓ヨンピル国』

参考:典型的な教育家の家庭で育ったチョ・ヨンピルさん。中学時代から黒人のソウルミュージックとロックに心酔し高校卒業後に家出を決行。『キムトリオ』というバンドのギタリストとして音楽活動を始める。数年後、ロックバンド『チョ・ヨンピルと影たち』を結成。米軍基地周りのクラブハウスを中心に活動をするがイマイチ売れず、生活のためにしぶしぶとレコーディングした『釜山港へ帰れ』が願ってもない空前のヒットを記録。その後29歳でメジャーデビューを果たし今に至る。

韓国初でシンセサイザー導入。韓国初のミリオンセラー。韓国初の公式ファンクラブ誕生。韓国初でアルバムの全曲がヒット…などなど。

当時のチョ・ヨンピルさんの人気は想像を絶する恐ろしいモノであった。その人気の秘密は何と言っても殆どの音楽ジャンルを行ったり来たりする彼の幅広い音楽性にあったと思える。

10代の女の子達はテンポの良いニューミュージックに、女子大生はバラードに、年寄りはトロット(演歌)に、男達は彼のロックに、とにかく10代から70代まで老若男女構わず誰もが『ヨンピルオッパ』に熱狂していた。まぁこんな前代未聞の歌手はもう韓国では出てこないのであろう。

いつも歌番組のエンディングを飾っていたヨンピルオッパ↑
今でも人々は飲み会によく遅刻する奴を「お前はチョ・ヨンピルか?」と叱る(笑)

CMにも出まくりだった若々しいオッパ❤️↑

みんなのヨンピル

というわけで全国民から愛されていたヨンピルオッパであったが、矛盾にも全国に数十万人いたと言われる『追っかけ隊』の親たちには『公共の敵』扱いをされていたらしい。それに彼が住んでいた街には朝から晩まで女の子たちがウロウロ、キャーキャーと大騒ぎで住民からの苦情が殺到。1年に何回も引越しをせねばならなかったという。

なぜ、そんな現象が起きていたのか?

当時の韓国にはアメリカのポップソングに匹敵するような音楽を発信するミュージシャンが『チョ・ヨンピル』しかいなかったのであろう。まぁアイドルの概念すらなかった時代で、僕が中学に入ってからやっと『ハイティーンスター』と呼ばれる若い歌手が一人二人登場するようになる。言い換えれば、ヨンピルさんは新しい音楽への要望をひとりで背負っていたことだろう。

そして、チョ・ヨンピルの音楽を聴いて育った『ヨンピル世代』の若手ミュージシャンが大挙誕生する90年代に入ってから韓国の音楽界は今にも過去にも例がない黄金期を迎えて数え切れないほどの名曲が量産されるのである。

一方、ヨンピルオッパはテレビから姿を消してライブ活動に邁進し続けた結果。60をとっくに過ぎた今でも毎年全国ツアーを行い、何十万人に及ぶ『ヨンピルっ子たち』(もうおばちゃん・おじちゃんになっている)を熱狂させる貫禄をみせている。

実は5年ほど前にヨンピルオッパのソウルコンを見に行ったのだが、あのヌナがいるかもと会場内をよく見渡していた記憶がある。

あの隣の家のヌナは今頃何をしているんだろうか? そのガッツのある精神力を活かして物凄い財産家になってたりして(笑)。

まぁ80年代の韓国を生きた我々の世代にとって『チョ・ヨンピル』という名前は特別な意味をもたらす『時代の代名詞』でもあるのだ。くれぐれも長生きされて、アイドルたちに負けない若々しい音楽をいつまでも作り出して欲しいなぁ。

次の連載は『旧正月連休明け』の2月17日(水)に更新予定です。

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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