コーディネーターって何?Part⑧

待望の松ちゃんの特番があの911で幻に消えた2001年が過ぎ去り、年間で休みが取れた日を10本指で数えられる程、めまぐるしい忙しさに追われていた2002年。日韓W杯共同開催という大イベントがあったその年にある大物の芸能人の方に出会えた。

前園真聖選手が韓国に?

皆さんは上記の方がKリーグでプレーしていた事をご存知ですか?

今はテレビのタレントで有名な方だがー2003年安養LGチータース・2004年仁川ユナイテッドFCー現役選手としての最後の2年間、韓国でプレーしていたのである。

そして来季に備えて2002年から韓国に滞在していた前園選手を取材したいとオファーを出して来た番組があった。

『木梨サイクル』

そう。あのとんねるずの木梨憲武さんが出演していた深夜番組。サッカー好きの芸能人としても有名だった木梨さんがKリーグ移籍を決めていた前園選手を応援しに来るという企画だったのだ。

やった!憧れの木梨さんに会える!これは胸騒ぎの腰付きだよ〜

木梨さんは空港で出迎えた時から常にニコニコのお顔でびっくりするほど気さくな方だった。

「ぺ君、前園選手って知ってるの?」

「勿論です。アトランタオリンピックでの活躍ぶりは日本に滞在していた時期、テレビで拝見しました。あと、夜の六本木でよく見かけていましたよ」

「えっ!そうなの?」

「はい。ぴちぴちの白人の美女達と腕組んで歩いてましたね」

「フハハハハ。やっぱり〜。ところでぺ君は夜の六本木で何してた?」

「大体、土曜の夜は六本木のクラブで朝まで踊りまくってました」

「おぉ〜。ぺ君、やるね!」

小規模のロケでスタッフの人数も少なく、移動のロケ車の中で上記のような会話で盛り上がっていた。

何でこんな場所にチェ・ホンマンが?

安養にあるLGの練習場に到着して前園選手の入りを待ちながらインタビューの準備をしている時、木梨さんがびっくりした顔で口を開く。

「えぇ〜!あのデカい生き物は一体何だ?」

木梨さんが指刺した場所に突っ立っていたのは、当時LGのシルム(韓国相撲)チームに所属していたチェ・ホンマン選手。テレビでは見た事があったが、実物を見たのは自分も初めてだったのである。我々は恐る恐る彼の方に近寄って、握手をしたり、体を触ってみたり。ホンマンは苦笑いを浮かべながら、照れていたような記憶が。

しかし、数年後にホンマンが格闘技選手に転向したり、僕がK−1韓国大会のイベントに関わる事を誰が予想していたのだろうか。まぁ、この辺の話は別の機会に述べる事にしよう。

地味な現代に乗って来たあの方

前園選手は六本木での華やかな姿とは打って変わり、多少地味な国産セダンに乗って付き人らしき方と練習場に現れたのである。

インタビューでは韓国までたどり着いた経緯やら、日本代表時代の話、韓国での暮らしぶりなどを語り、その後、場所を変えて木梨さんとタッカンマリを食べながら対談をしばらく続けたところで終了。

別れの挨拶をした後、宿所へ戻る彼の背中には何とも言えない寂しさが漂っていたが、近頃テレビで見せている穏やかな顔からは数々の苦難を乗り越えて来た男の余裕が感じられて自分も嬉しくなったり。今後のタレントとしてのさらなる活躍に期待していますぞ!

中年の男を輝かせるもの

二日間の短いロケだったが、木梨さんの人柄の良さと謙遜な振る舞い方、芸能人としての存在感を感じ取るには充分な時間だった。彼との出会いで中年の男を輝かせるものとは何かが、はっきり見えて来たような気がする。

帰国日の空港。事前に用意していたマジックを手渡し、僕が着ていた白いシャツにサインを求めたが、木梨さんは持ち前のニコニコ笑顔で応えてくれた。

「このシャツ、一生大事にします!」

「また〜。ぺ君、ありがとう。頑張れよ!」

出国ゲートへ遠ざかって行く木梨さんに手を振りながら、次はいつ会えるのだろうと思っていたが、まさか、あの人気番組で再会を果たす事になるとは・・・

次回へ続く〜

 

 

 

 

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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