コーディネーターって何?Part⑨

前回の続きで時代は2002年から一気に2004年へ。個人的にはコーディネーター歴4年目を迎える年でもあったが、日本内では空前の冬ソナ熱風が巻き起こり、韓国に対するメディアの関心がピークに達していた時期でもあった。そんな中、大好きな木梨さんとの再会を果たすと共にとてつもない規模のロケを経験する事に。

番組名は『とんねるずのみなさんのおかげでした』。日本の国民なら誰もが知っていた某テレビ局の看板バラエティ番組なのは説明するまでもない。なお、とんねるずのお二人揃いで韓国ロケを行うのは初めてという事で、とにかく膨大な予算をつぎ込んで他の番組が真似出来ない事に挑みたいとのオファーだったと覚えている。

今回のロケは規模が違うぞ

日本からのスタッフはタレント班込みで約80人、韓国側のスタッフはコーディネーターの人数12人に美術スタッフ8人、それに各種ロケ車が15台、総人数100名を軽く超えるどデカイ規模のロケだったのである。

それまでスタッフ20〜30人規模のロケは毎年何本かこなしていたのだが、100人規模の大かかりのロケのチーフコーディネーターを担当した経験はない。更にコーディネート会社を十数年間経営してきた社長でさえ未経験だと言うので、しっかりと準備をしたつもりだったが、いざロケが始まるとその難易度は想像を絶するものだった。

最大の難関は南大門市場でのロケ。何と南大門市場を貸し切りにして、最も人通りが多い場所で当番組の人気コーナー『モジモジ君』をやってたり、更に広々とした敷地内でそうそうたるゲスト達と一緒に隠れん坊をすると言った具合のスケールだったのだ。

携帯のバッテリーってこんなに早く落ちるの?

人手不足も大問題。社内のスタッフは管理部長から社長まで総動員してもせいぜい5人。残りのコーディネーターは外注でまかなえるしかなかった。当時はフリーコーディネーターの数も少なかった時代で、ちょっとした報道の現場で通訳をした経験のある外国語大学院の学生達まで掻き集めて、取り急ぎ頭数は揃えたもののこれが全く頼りにならない。

隠れん坊をする為、市場の隅々に様々な小道具を仕込んでいたが、真面目な大学生軍団の要領の無さと経験値不足から生まれるテンパりは余地もなくSOSコールに変わり僕の携帯へ殺到する。

「スタッフがコンビニに行きたがるのですがどこですか?」
「そんなの周りにいる商人に聞けばいいだろ!」
「スタッフがお弁当はまだかと?」
「みんなに配ったスタッフリストにお弁当担当の携帯番号載ってるでしょ!」
「お店の方が入口に小道具を置くなと言ってます」
「さすがに入口はマズイでしょ・・・少し位置をずらしてや〜」
「スタッフが車に忘れ物したと」、「ホテルへ機材をを取りに行きたがってるがどうすれば」、「近くにトイレありますか?」(どの現場もトイレが問題)・・・・などなど、ちょっとだけ知恵を働かせれば解決出来る事を一々責任者の自分へ確認のコールをする。更に市場の広報担当からの確認事項、進行状況が気になる社長からのコール、とにかくその後10年分の通話を短時間でしたかのような感覚だった。その結果、普通に1日は持つ携帯のバッテリーが3〜4時間余で落ちてしまう羽目に。

まぁ、今振り返って見ると全ての責任は経験不足の自分自身にあったと思うな。

イライラ度100%で携帯のバッテリーを取り替えながら、周りの日本人スタッフの働きっぷりをチラ見したが、事前に用意してきたトランシーバーで平然とやり取りをしていたのである。こういう規模のロケを日常茶飯事のように行っている彼らにとってトランシーバーは必需品だったのであろう。

あ、しまった。トランシーバーがあったら、一々携帯でやり取りをする面倒は避けられたのに。それと、全ての進行状況をチェックせねばならない自分をアシストしてくれるスタッフが必要だったのに気がついたのも遅すぎたよな・・・。

経験こそが宝

タレントさんが集結して、ロケはスタート。そして、日本のスタッフさん達はまるでこんなロケは屁でもないかのように素早く動き回り、タレントさんのリアクションを見ては、ニコッと笑うほどの余裕まで見せていたのだ。スケールが違う仕事をしている人達って違うよなと感心しながら、終日バタバタしていた自分の姿が恥かしくなった。

やっぱり、人間は様々な経験の積み重ねで成長し、苦難を克服する努力から知恵が生まれると実感した。

実際、このロケを経験した後、どの現場に出てもシンドいと感じた事はないかも。加えて、20〜30人規模のロケは屁でもないと思えるほどの余裕が自分の中に根付いたと思う。

経験こそが宝なのだ。
これはどの職種でも当てはまる言葉ではなかろうか。

追記
この仕事はこれまで15年間のコーディネーター歴で最も規模の大きいロケでした。あと、自分自信に対してやっと一人前になったと自負心を持たせるきっかけにもなりましたね。おそらくこのロケの事は死ぬまで忘れられないかも。うん。間違いない!

 

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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