小4の秋頃のとある週末。家の外で弟とキャッチボールをしていたら、見知らぬ車が止まり車窓から顔を出した男の人が「ここがぺ監督の自宅なのか?」と訊いて来た。「はい、うちの父さんです」と答えたら、「お、すぐ見つかってよかったな」と一人つぶやいたオッサンは車のトランクからやや大き目の段ボール箱を取り出して早速家の中に入って行くのだった。
その後、父ちゃんの部屋。家族全員が見守る中、妙な笑みを浮かべていたアジョシは銀色の四角い機械をテレビ台の下に置いて、しばらく慣れた手つきでケーブルをあちこちに差し込む。そしてカセットテープの5倍の大きさのテープらしきモノを機械に挿入し、リモコンのボタンを押すと魔術のように野球試合の映像がテレビに映るのであった。
「あっ!この帽子、今僕が被っているのと同じモノだ!」(読売ジャイアンツの試合の収録本)。
うちにもビデオ時代がやってきた
「ぺ監督、あと2〜3年経ったらこの『SONYのBetamax』時代が必ずやって来ますよ。テープも小さくて持ちやすいし、何よりも画質が素晴らしいのです。あはははは」(#当時、このアジョシは自慢気に言い張ってたけど、僕が日本で暮らしていた2001年までの約21年間、街のレンタルビデオ屋には『VHS』のビデオテープだけがズラリと陳列されていたのだ…)。
その日の夕食後、我が家族は最先端のビデオ時代を満喫した。あのSONYの代理店の太っ腹のアジョシがおまけとして最近の日本のテレビ番組のコピーを5本もくれたのである。1本目の番組は変なオッサン(多分、志村けん)が出てるコメディー番組だったが、日本語が分かる父と祖母だけが爆笑していたような気がする。そして、2本目はある歌番組だったと覚えているが、それが僕の『小4の人生』を大きく狂わせるきっかけになるとは夢にも思えなかった。
あぁ…「あの方がブラウン管に映りだされた瞬間の衝撃を今でもはっきりと覚えている」。僕は心臓が止まりそうになりたぶん開いた口が塞がらなかったのであろう。あの不思議な感覚…生まれて初めて覚えたその激しいときめき…僕を虜にした天使のような笑顔…その節制された身動き…憂愁に満ちた瞳…ピンクの花びらのような唇…こんなに綺麗な人は韓国のテレビで見たことがない…あぁ〜今すぐ『南の風』に乗ってあなたのいる日本へ走って行きたいよ〜。
まぁこの方である⇩
南の風に乗って10歳の僕に恋が舞い込む
あの名前も知らない天使様の出番はあっという間に終わった。「父ちゃん、この人の名前って何?」と尋ねると父は天使様が登場する部分まで親切に巻き戻してくれてテロップを読み上げてくれた。「うむ…マ・ツ・ダ・セ・イ・コだね。おぉ〜ヒョンちゃん、どうしたんだい。このお姉さんに惚れたんじゃないだろうな。ふっはっはっはー」。
その「惚れたんじゃないだろうな」という父の言葉の意味はイマイチ分からなかったが、自分の中で不思議なことが起こっているのは何となく感知出来たような気がする。何しろ、あの方に出会う前の僕は、学校から帰って来るとカバンを部屋に放り投げ、街の空き地で日が暮れるまで近所の子たちと野球をするのが毎日の日課。
ところが、あの方に出会ってからは、『学校から帰ってくる』→『真っ先に父の部屋へ』→『ビデオをつける』→『聖子ちゃん歌う』→『巻き戻す』→『青い珊瑚礁』→『巻き戻す』→『聖子ちゃん歌う』…を毎日父が帰宅するまで延々と繰り返していたのだった。
まぁこんな僕の異変に気付いた祖母は『孫がビデオ中毒になった』と勝手に診断して、父と母に即報告。その後、家族会議が開かれた結果、僕に『父の部屋へ立入禁止』+『ビデオ禁止』という悲惨な『ダブル制裁』が下されたのである。
小4のガキ、独り旅に出る
「いくら考えても納得がいかないよ。僕は、ただ単に、好きな人の顔を見たいだけなのに。父の部屋に鍵までかけるなんて、酷いじゃないか」。そんな抵抗心に燃えていた『準思春期』の僕はもどかしい気持ちを宥めようがなく、独り旅に出ることを決心した。まぁ多分数ヶ月前にテレビの『週末の名画』で観た主人公の影響が大きかったと思える(失恋した男が旅に出る話)。
そして数日後の朝。僕は全財産である『50ウォン』をポケットに入れて学校へ向かい、放課後に家の近くのバス停で真っ先に着いたバスに迷わず乗り込んだのだった(#当時のバス料金は大人100ウォン、子供50ウォン。あと、若い女性案内員が車内の出口のところに突っ立っていて降りる人から料金を貰っていた)。
勿論、一人でバスに乗ったのは人生初の経験でもあったが、そんなことに感激する余裕もなく、乗り心地の悪い市内バスの席に腰を下ろし車窓の外を眺めながら聖子ちゃんとのバラ色の未来を頭の中で勝手に描き始めた。
「大人になったらあの方と結婚して、アメリカの豪邸に住もう。広い庭付きの家でデカイワンちゃんを飼うのもいいな。車はどうしようっかな。やっぱり、アメ車がいいかも。リビングのカーテンの色な薄い水色がいい。ベッドはとにかく大きいサイズだね。えっ?仕事はどうするんだ?うーむ、それはゆっくり考えようっと」(これまたテレビで見たアメリカ映画の影響だったかなぁ…と)。
こんなアホみたいな妄想をしてること、約2時間。僕が乗っていたバスはいつの間にか車庫のようなデカイ敷地内に到着。車窓から外を見渡すと同じ番号のバスが10台ほど止まっていた。
案内員「おい、そこのガキ。終点だぞ。さっさと料金払って降りろ!」
僕 「えっ?このバス、僕が乗ったところに戻らないですか?」
案内員「何言ってんだよ。あっちで違うバスに乗って戻ればいいんだろう、バ〜カ」
僕 「……」(相当、口が悪い女だな)
待てよ、ということは、「帰りのバス代『50ウォン』が追加で必要だっていうこと?」。僕は、てっきり市内バスという乗り物はソウルを延々と循環するモノだと信じ込んでいた。それに、そもそもバスでソウルを一周してから家に戻る計画だったのに…こりゃ〜予定が大きく狂っちゃうんじゃないかよ。あ・い・ご。
人生初で交番を訪ねる
生まれて初めて、見知らぬ場所で一人ぽっちになった訳だけど、意外と怖くはなかった。オンマはいつも「万が一、道で迷子になったら近くの交番へ行きなさい」と口癖のように言っていた。それを思い出した僕は自力で交番を探し出し、中で暇そうにしていたお巡りさんのアジョシに事情説明を行う(あ、聖子ちゃんの話を除いて)。そしたら、お巡りさんは家に電話をかけて確認を取った後、さりげなく50ウォン玉を手渡してくれたのだ。恐らく、これが人生初の借金だったのであろう(笑)。
まぁそういうわけで無事に家までは辿り着いたものの、鬼のような顔で待ち構えていたオンマに散々袋叩きにされた挙句、この間のダブル制裁に続き、なんと『1ヶ月間お小遣い無し』という『経済制裁』が追加で下されて、ようやく独り旅の騒動は一段落した。
聖子ちゃんへの熱愛はどうなったのかって?
やっぱり小学生の身分として、海の向こうに住んでる方を好きになるのは、余りにも険しい道のりだというのが分かり、その後は自然と同じクラスの女の子たちに目を向けるようになった『小4の僕』である。