【第11回】ヒョンソク君は日本人なの?

我が家族が長年住み慣れた下町を離れて引っ越しをしたのは、僕が小2の新学期を迎えようとした1978年の春。そして丁度その時期から、うちの環境が他の子達のそれとはだいぶ懸け離れているのを意識し始めたのだ。

引っ越し先は、今の地下鉄2号線『合井駅』交差点の内側辺り。当時は典型的な中間層の住宅地であったが、所々政治家の方や大企業のお偉い方などが住んでいると噂された立派な豪邸が何軒かにょっきり建っていた記憶がある。そして、姉と僕はホンデ(韓国一の美術大学)の近くにある小学校へ転校し新学年を迎えることに。

一方、父は冬の間、何年かぶりに家族に会いに1ヶ月ほど家を空けて日本へ行ってきたのだが、そのついでに日本製の文房具などを含めたお土産を山ほど買って来てくれた。でも、のちにそれがちょっとした問題に発展するのを夢にも思えなかった。

新しい学校で新学年を迎えたのだが…

新学年の初日。僕は『読売ジャイアンツの帽子』を被り、さらに日本の小学生の象徴であろう『ランドセル』を背負って学校へ向かったのだが、いま考えるとどう見ても明らかに韓国人の普通の小学生の姿ではない(笑)。

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大体こんな感じ

西橋小学校・2年◯組の教室の中。

20代の女性に見える担任先生は生徒一人一人順番に席に立って自己紹介をするように指示を出す。僕は多少緊張気味で順番を待っていたのだが、いざ自分の順番になると「あ、ヒョンソク君はちょっと前に出て来て〜」と言われたのである。僕は「えっ!何で?」と思いながら、モジモジ歩いて前に出る。

先生「このヒョンソク君は◯◯小学校から来た転校生なのよ」
 (そんなこと一々言わなくてもいいのにな…)

先生「あと、お父さんが日本から来た有名な野球選手らしいのよ」
 (何でそんな事まで?っていうか今は引退して監督やってますけど…)

先生「みんな、仲良くしてあげてね。それでは自己紹介してから席に戻ってね」
 「ぺ・ヒョンソクと申します。将来の夢は大統領です!よろしく!」

僕が席に戻ると周りがザワザワし始めるのを感じた。どうやら先生が言い放った「お父さんが日本から来てる」というセリフにみんなが疑問を持ったらしい。そして1限目が終わり休みの時間に入るとクラスの子達が一人ずつ歩み寄って僕を囲い込む。

ガキ①「あのさ、お前の父ちゃんは日本人なのか?」
僕  「違うよ。パパは日本で生まれたけど、韓国人だよ」
ガキ②「何それ?日本で生まれた人は日本人だろう?」
  「違うの。在日韓国人と呼ぶんだよ」

その後、みんなの視線が僕の持ち物へ移る。

ガキ③「そのカバン(ランドセル)は見た事ないけど、どこで買ったの?」
ガキ④「お前が被ってる帽子はなんだ?」→(読売ジャイアンツ)
ガキ⑤「その鉛筆箱の虫達は何?」→(仮面ライダー)
ガキ⑥「この鉛筆と消しゴムも見た事ないよ」→(tombow)
  (あぁ…人生は辛いな…)

更に、何日後からは他のクラスの子達が僕を探しに足を運んで来る始末。多分、「2年◯組に日本人の子がいる」という噂が流れていたのだろう。休み時間のチャイムが鳴ると余地なく「このクラスに日本人がいるって?」とわやわや騒ぐ奴らがうちのクラスの周りを彷徨いていたのである。

まぁ学校でそんな目に遭っていたある日、キッチンで豆もやしの手入れをしていた祖母に「ハルモニ、日本人って韓国ではそんなに珍しいの?」とこっそり訊いてみた。そしたら「ヒョンちゃん、どうしてそんな事聞くの?学校で何かあったのかい?」と心配そうな顔で聞き返してきた祖母にその間の事情を涙目で説明してあげた。

すると祖母は「ふうむ。それは大変だったわね〜」と独りつぶやいて、タバコを一本吸い出す。僕は祖母の頭の上で散らばるタバコの煙を目で追う。そしてタバコの煙は完全に消えた頃に祖母は「ちょっとハルモニと一緒に出かけてこようっか」と言い出し、僕の手をつないで向かった場所は家の近くにあった市場の『文房具屋』。

「好きな物は何でも選んでいいわよ」と言われた僕は真っ先にダサいカバンを指差し、鉛筆箱やら鉛筆、消しゴムなどを次々と好き放題に選んだ。そして、パンパンになってるビニール袋を片手にハルモニと家に戻る。祖母は「パパとママに言えない事があったら、いつでもハルモニに相談するんだよ」と微笑み、僕の頭を優しく撫でてくれた。

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当時、韓国の小学生たちは誰もがこんな『ダサいカバン』を持っていた

僕は大人になってからもあの時のエピソードを度々思い出す。何せよ、日本で『クッソ貧しい幼年時代』を送った父。我が長男には他の子よりイイモノを使って貰おうと張り切っていたに違いない。まあ少し『過剰な親心』だとは思うけど、それが父流の『愛情表現』だったのを僕は知っている。

海外旅行禁止令の韓国

韓国では特集なケースを除き、一般国民が海外旅行に出ることを禁じていた。まぁ国内で稼いだお金を海外で使うのを防ぐ政府の方針であったようだが、その特集なケースとは、政治家や貿易を主な事業にする商社の部長クラス以上の人、父みたいに海外で生まれ現地に家族がいる人などを示す。

そして『88ソウルオリンピック』の誘致に成功した韓国政府は、1983年1月1日から50歳以上の国民に限り、200万ウォンを一年間銀行に預金する条件で年1回きりで有効な観光旅券を発給し始め、(年齢制限はあったものの)史上初で国民の観光目的の海外旅行が自由化される。そして、1989年1月1日になってからようやく、『国民の海外旅行を全面自由化』したのである。

【次回の連載は年明けの1月6日に更新致します〜】

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
「韓国のこんなことが知りたい」という方はメール下さい。