どうも、どうも、『韓国テレビ局研究所』のぺ所長です。
みなさんは財閥の『SAMSUNG』がテレビ局を持っていたことを知っていますか?
今日は韓国近代史の暗黒期が産み出した前代未聞のテレビ局『KBS2』にまつわる話をしようと思います。あ、そんなに暗い話でもないので、気軽に最後までお付き合い頂きたいです。
サムスンの創立者
『サムスン』の創立者である故李秉詰(イ・ビョンチョル)会長。
日帝時代にお米屋さんから商売を始めた方ですが、飛び抜けた推進力と鋭い商売哲学を活かし、数々の事業に手を伸ばしては成功を収め『世界のサムスン』を築き上げた起業家として評価されている。
その彼の起業家精神を一言で表すと『ひとつの事業に満足することを頑なに拒む』であるのでしょう。韓国初で砂糖を製造したとか、韓国初で繊維業を繁盛させたとかはあまりにも有名な話ですが、なぜか韓国初の『民放テレビ局』を作った伝説はそれほど語り継がれていないような気がしますね。
韓国初の民放テレビ局『TBC(東洋放送)』
イ・ビョンチョル会長は古くから日本をかなりベンチマーケティングしていたようですが、なかでも彼が一番目をつけていた分野が『メディア産業』と『家電製造業』で裏では着実に準備を進めていたとのこと。
そんな彼の野望はとどまることを知らず、1963年に莫大な資本を投入して、念願の『東洋放送』を設立し、さらに翌年には韓国初の民放テレビ放送局『TBC』を誕生させる快挙を成し遂げたのです。
当時、この『TBC』の反響は実に凄かったらしいです。国営放送局『KBS』の堅い番組に慣れていた視聴者たちは『TBC』が送り出すバラエティ番組やドラマ、特に力を入れて制作していたと言われる歌番組に全国民が熱狂していたと記録されています(1970年代に入ってからは年間の純利益が『80億ウォン』に達していたとか)。
お前のテレビ局を俺にくれ
1979年、朴正煕大統領が暗殺される悲劇が起こり、韓国全土がパニックに陥ります。彼の死去を心から悲しむ国民がほとんどだったと思えるが、一方では18年間の軍事独裁時代が終わり韓国も真の民主主義国家に生まれ変われるという期待感も高まっていたのでしょう。
しかし、悪夢のような軍事クーデターを起こして政権を握ったのが、悪党中の悪党である『全斗煥氏』。奴はいずれ韓国近代史に残る『様々な大罪』を犯して行くのですが、真っ先にメスを入れた分野が『メディア』であるのです。まぁ軍事政権に反対する国民たちの目と耳を封印したかったのでしょう。
『言論統廃合』という訳のわからない名目で、なんと韓国に存在していたすべての『民放ラジオ・テレビ局』を強引に国営放送局へ吸収させる前代未聞の蛮行をしでかしたのです。その余波で1971年に第2の民放テレビ局として開局された『MBC』は持分の70%を『KBS』に没収されることになり、現在まで国営なのか民放なのかが曖昧な局として運営され続けています。
それでは気になる『TBC』の運命は?
国家情報機関に呼び出された李秉詰(イ・ビョンチョル)会長。当時資産価値が700億ウォン以上に及ぶと言われた『TBC』を約200億ウォンで丸ごと譲渡する覚書に無理やりサインをさせられる。まさに「お前のテレビ局を俺にくれ〜」ということだったのでしょう。
そんな経緯で誕生したのが、みなさんもご存知の『KBS2』。表向きには国営放送局の看板を出しているのですが、コマーシャルをバンバン流している『世にも不思議なテレビ局』であります。
KBS受信料の支払い方
僕は日本に住んでいた頃、あらゆる方法でNHK受信料の支払いを避けていた記憶があります。部屋を訪問した係員の人がドアを叩くといないフリをしたりで(笑)。でも最終的には全額支払わざるを得なかったですけどね。
いやいや。韓国ではKBS受信料が電気代に含まれて請求されるので逃げ道が全くないのですよ。これは日本と違って、韓国の電力会社が民営化されていないから可能なシステムでもありますけどね。しかし誰のアイデアなのか知りませんけど、いいこと考えたなぁって思いますよ〜本当に。
軍事政権という悲劇が産み出した韓国テレビ局の歴史。如何でしたか?
今日は多少暗いネタになったかも知れませんが、次回の連載では韓国のケーブルテレビの動向と明るい未来について書く予定なのでご安心ください。
それではお休みなさい〜