【第8回】ぺ家族の誕生

野球バカの嫁への愛情は結婚をしてからも冷める事を知らなかったという。試合を見に来ている母に気を取られて9回裏の逆転チャンスに盗塁サインを見逃してしまい、敗戦の主犯となって監督さんにめちゃくちゃ怒られたとか。

そんなラブラブな新婚生活を送っていた父と母とは裏腹にひとつ屋根の下で毎日戸惑いを隠せなかった人がいたというが、その人は誰でもなくうちの「ハルモニ」であった。

問題は父の『食』へのこだわり。いや、正確に表現すると『和食への執着心』だった。

「僕は辛い物が苦手なんですよ」、「キムチも辛くないのがいいです」、「オモニ、和食の作り方を覚えて下さい」、「今日は久しぶりにカツ丼が食べたいです」、「明日は豚汁が食べたいな」、「豚の生姜焼き→てんぷらうどん→冷やし蕎麦→カレーライス→コロッケ→スキヤキ→しゃぶしゃぶ→肉じゃが→シメサバ・・・・」。

連日絶え間なく父の口から出てくる猛烈なリクエストに頭を抱えていたハルモニ。いくら長年の屋台経営で磨き上げた料理の鉄人並みの腕を誇っていたハルモニとは言え、和食は見た事も食べた事もなかったのでどうしようもない。それに何と言っても結婚前に胸を張り、「家事は全て私にお任せ」宣言をしちまった以上、『ひとつ屋根の下の平和』を維持するためにも和食への挑戦は避けてはならぬ道だったのだ。そしてある日、悩みに悩んだ挙句ハルモはとうとう連合作戦を提案する。

「レシピさえ手に入ればなんだって作ってあげるわよ」。

そんなハルモニの意気込みを受けた父は日本にいる家族に和食のレシピを手紙で送って貰ったり、行きつけのホテルの和食レストランへ連れて行っては試食させたりを繰り返し、徐々にハルモニを和食の世界へ導いて行ったのだ。

そうしている内にハルモニは一品ずつ日本の料理を覚えて行き、連合作戦開始から約2年が経った時点で日本料理なら何でもかんでもスラスラといとも簡単に作れる『和食の達人』に変身したとか。

確かに僕の幼年時代を思い出すといつも食卓の上に日本料理が置いてあったような気がする。当時はそれが和食なのかどうか知らなかったのだが、なぜか小学校に入る前から納豆をバリバリ食べていた僕である。まぁその辺の話は後にこの連載で詳しく説明することにしよう。

現役引退、そして家族の誕生

和食問題のドタバタ劇が繰り広げられる最中でも、父と母は一日も欠かさずラブラブな夜を過ごし、なんと結婚した翌年の結婚記念日に長女を授かる(この長女が現在僕と一緒にお店を経営しているコワイヌナ)。そして、その2年後に父は華やかだった選手時代にピリオドを打って現役引退し、『延世大学野球部』の監督に就任する事になる。

연대감독

【応答せよ1994】というドラマに出てる下宿のオヤジも同じ大学の野球監督だったな

대학

野球部の監督として働くがてら学業を並行していたらしい

その後も父と母のラブラブな夜は止まる事を知らず、1971年2月8日に念願の長男が生まれ、その2年後には次男が誕生するのだが、父は日本で生まれ育った人らしく、長女を「ヌナちゃん」→長男を「ヒョンちゃん」→次男を「ポンちゃん」と3兄弟にそれぞれのあだ名をつけていたのである。なぜ「ポンちゃん」ですって?弟は小さい頃からとにかく、よく屁をこいていたそうだ。屁の音を日本語では「プン」と表現するが、韓国語では「ポン」である。(擬声語の勉強になるよ)

そんな訳で、父は長年夢見ていた家族作りを完成させたのだ。『ぺ家族の誕生』に乾杯!

배가족

撮影:オンマ

来週からはいよいよ僕が主人公となってこの連載を引っ張ります。
今後とも応援よろしくお願い致します!

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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