コーディネーターって何?Part⑦

前回の続きで時は2001年の9月初旬。
当時、僕が通っていた会社は日本メディアのコーディネート部署と韓国・地上波テレビ3局の番組制作部署で分かれていて社内では呼びやすくお互いを日本チームと国内チームと称していたのである。

初の海外出張はあの国

あの松ちゃんの特番の準備でバタバタしている自分に国内チームの先輩ディレクターP氏が声をかけて来る。

「おい、日本チームの新米君」

「何かご用ですか?今、忙しいのでコーヒー入れてくれとか言わないで下さいね」

「明日、パスポート持ってこい。来週、俺と台湾ロケに行くぞ」

「台湾!?・・・今準備してる仕事もあるし、そもそも僕は台湾語話せませんけど・・・」

「そんなの気にしなくていいんだよ。お前は現場で俺の手伝いをしてくれればいいのさ」

「え〜何でこんな忙しい時期に。国内チームだって、AD君が何人もいるんじゃないですか」

「みんな、忙しくて手が空かないんだよ。社長もOKを出した事だし、黙ってついてこい!」

「そんな・・・・」

当時の僕はあれこれ言える立場でもなかったし、台湾は行った事のない国でちょっと好奇心が湧いてきたのもあり、ま、いっか。と気を取り直し2泊3日の日程で台湾へ発つ。

一体、何のロケ

台湾の空港で我々を待ち受けてくれたのは現地コーディネーターのキムさん。台北の大学院に通いながらちょくちょくと通訳の仕事をしているという。我々は彼のHONDAに乗ってホテルへ直行。さっさとチェックインを済ませて早速最初のロケ地らしき場所に到着。古い建物の2階に上がるとお店の入口の看板の隅っこに日本語で○○マッサージと書いてあった。

「先輩、この取材って台湾マッサージ特集的なもんですか?」

「鋭いね、新米君。今日、明日で何軒かのマッサージ屋さんを取材するぞ」

そこで僕は素朴な疑問を抱く。

「あの、先輩。マッサージは誰が受けるんですか?」

「俺はカメラを回す、キムさんは通訳をする、マッサージを受けるのはお・ま・え

「・・・・・・・・・・」

絶対、変だと思った。構成案を見せてくれという自分の要請に一度も応えてくれなかった先輩のP氏。僕を台湾マッサージの実験台にしたかったのか。

今更、文句を言ったってソウルに帰れる訳でもないし、黙って彼の指示に従うしかない。これが新米テレビマンの宿命である。僕は素早く更衣室へ、そして堂々とパンツ一丁のカッコに変身。

一軒目はオーソドックスなマッサージ。二軒目は足ツボマッサージ。
これまで一度もマッサージを受けた事がない僕だけど、意外と気持ちいい。数ヶ月間の新米生活で溜まった疲れがこの2軒のマッサージで一気に吹っ飛んだような気がした。

初日の撮影はこれで終わる。
いい仕事だね。楽ちんだよ、楽ちん。
我々は台湾で一番有名な小籠包の店で夕食取り、ホテルへ帰って爆睡。

マッサージ、マッサージ、そして、マッサージ

二日目もキムさんのHONDAに乗ってホテルを出る。
今日は3軒のマッサージ店でロケを行い、夕食後には自由行動をする事にしている。さっさとロケを終わらせて台北の夜を満喫したいな。

1軒目は女性の先生が行う少し変わったマッサージだという。
パンツ一丁でうつ伏せになった僕の背中に女性の先生がいきなり乗っかってきては全力で体中を踏んづける。

「いててててて」

先輩のP氏はガチで苦しんでる自分の姿を撮影しながら、けたけた笑う。

「先生、こいつの頭も踏んづけて下さい!」

先生は片言の日本語で「アタマはダメよ。シヌよ」

2軒目はお皿マッサージだと?

こちらも女性の先生。テーブルの上に置いてある様々な形のお皿を次々と手にしてはパンツ一丁の自分の全身を擦りまくる。

 「いててててててててててててて」

P氏 「先生、そこに置いてある中華フライパンを使う事って可能ですか?」

후라이팬

↑こんなやつ

先生 「デキルよ」

 「嘘だろう・・・いてててててててててて」

P氏は爆笑しながら撮影を続ける。キムさんは涙をこらえて笑う。自分は最後まで「いてててて・・・」

そして、圧巻のクライマックスは3軒目。

このロケで定番になったパンツ一丁の僕の前に姿を現したデブ男先生は何と両手にむちゃくちゃデカい中華包丁を握っているのではないか。まるで料理の鉄人に出てたあの中華料理の名人のように。

중식칼

↑殺気を感じませんか?

「先輩、いくら何でもこれは無理っすよ」

「何バカな事言ってんだよ。この包丁ネタで企画が通ったんだから、撮らない訳にはいかん!」

先生は鋭い刃先で全身をちくちく叩く。肉の辺りはマシだったが、骨の部分を叩かれる時は冷や汗が出るくらいの恐怖に包まれて息すら出来ない状態。悪夢の30分コースが終わると汗びっしょりの上に緊張したせいか体が硬直している。こんなマッサージを誰が受けるんだよ〜バカ!

ソウルに帰ったら、この先輩のP氏を絶対”訴えてやる!”とマジで決心したり。

いやいや、この3軒のマッサージ体験で身も心もヘトヘトになった自分。適当に夕食を済ませてから一人で夜の街に出る。

繁華街らしき場所で映画館を発見したが、あの尊敬する北野武監督の新作「BROTHER」が上映されている。日本にいた頃、彼の映画は一本も残さず映画館で見尽くした自分としては新大陸発見のような嬉しい出来事。さっとチケットを購入してポップコーンとコーラーを両手に映画館へ入る。

とにかく銃を撃ちまくり、血塗れのシーンに溢れる映画だったけど今日の中華フライパンとどデカイ包丁の悪夢の記憶を薄めるには充分だった。台湾って面白い国だなと思いながら、さらに街をうろうろしてると今度は大好きな「吉野家」の看板が目につく。お〜最高だぜ。店内に入って思わず、並・つゆだく・生卵と日本語で注文したのだが、不思議と通じる。約半年ぶりの牛丼の味を満喫してお店を出た僕は台湾最高!を連発する。

ホテルの部屋に戻ると先輩のP氏はイビキをかいて絶賛爆睡中。自分もシャワーを浴びて即寝。

これは映画の宣伝?

台湾ロケ最終日である9月12日の朝。今日は街のインサート撮影を何ヶ所かで行って、簡単にショッピングをしてから空港へ向かう予定。既に支度を終えた僕はP氏がシャワーを浴びる間にテレビをつけてみたが・・・・

911_0

あの911のテロ事件のニュースがほぼ全チャンネルで流れていた。最初はハリウッド映画の広告かと思ったのだが、NHK BSにチャンネルを変えた瞬間、事態の深刻さに驚かされた。シャワー室から出てきた先輩のP氏も驚愕に耐えない様子。我々は黙ってテレビの画面を眺めるしかなかった。

テレビの力

全世界が恐怖にわなないた911の事件から2週間が経ち、個人的には悪夢に過ぎない台湾マッサージ特集は放送日を迎える。当時、朝から晩までロケに追われる毎日だった僕はテレビを観る時間がなく全く知らなかったのだが、実は先輩のP氏が担当していた番組は平日のゴールデンタイムに地上波のMBCで放送されていた人気番組だったのである。

たまたま仕事がなかった僕は彼女の家で恐る恐るテレビをつける。が、予想通り、彼女は腹を抱えて部屋中を転び回りながら、狂ったような大声で笑う、笑う。僕はテレビに映っている自分のバカげたリアクションをチラ見しては、マジで死ぬ覚悟までする。

そして、番組が終わってから、3分置きに自分の携帯が鳴るのであった。誰にも言っていないはずなのにテレビを観た友達やら知り合いから絶え間なく電話が掛かって来る。

「お前の間抜けな顔、最高だったぜ。フハハハハハ」

「オッパ、日本からいつ帰って来たの?家族みんなでテレビ観ててビックリしたわよ。ホホホ」

「今度一緒に台湾行こうぜ。あの包丁マッサージ受けてみたいよ。キャキャキャ」

大体、上記の内容だったような気がする。中にはわざわざテレビ局に問い合わせをして会社に電話をかけて来た小・中学時代の同級生が何人かいたり。

僕はこんな周りの反応を肌で感じて、改めてテレビの力を実感したのである。

大期待のあの番組が・・・

そんなハプニングが起こっていた頃、あの松ちゃんの特番の総演の方から連絡が入る。

「いや、めっちゃ残念ですが、テレビ局から海外ロケ禁止令が出されたのです。911で騒がれているこの時期に大物タレントさんを連れて海外に出るのは危ないと判断したようですね」

あ、そうですか・・・

あの911事件で、期待の戦車も松ちゃんの特番も幻に消えたのである。

でも、いつか会える日が絶対来ると固く信じていたが・・・
14年が過ぎた今まで松ちゃんとは無縁が続いている。

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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