世間の既婚者たちにどうやって結婚に至ったのかを聞くと大体「タイミングが良かった」という答えが返ってくる。まぁ何となく分かる気もするのだが、そのタイミングを経験した事のない僕にとっては多少曖昧な答えに聞こえたりもする。なぜ、冒頭にこんな事を書いているのかというと、僕の父と母の結婚秘話にもその「タイミング的な出来事」が最も重要なポイントとして登場するからである。それでは時代を遡って1960年代の韓国・ソウルへ旅立ってみよう。
「何があっても一人娘を大学へ進学させる」というスローガンを掲げて、休みもなく朝から晩まで元気よく働いていた祖母が突如倒れてしまい、病院へ運ばれる。朝鮮戦争からの暗黒時代をしぶとい精神力で生き抜いた強い母親のふりをしていた反面、一人娘を養うための重労働は誰にも言えない過酷なモノだったに違いない。そしてその疲労度は祖母の心臓を発作させるに充分な要素でもあったのだ。
「あなたのお母さんは危篤状態です。私たちも懸命に治療をしていますが、最悪の事態は想定しておいてください。」
お医者さんから青天の霹靂のような事を伝えられた娘はその場で泣き崩れるしかなかった。考えてみれば、お母さん以外は身内と言える人が誰もいないのだ。もしもこのままお母さんが亡くなってしまうと、その後は一人でどう生きて行くべきか見当すらつかない。
これは世間知らずの19歳の女の子には過酷すぎる試練でもあった。
『山賊』から『親切なアジョシ』へ
父の耳にその悲報が入ったのは祖母が倒れてから3日目のこと。
前回の連載に登場した飲み仲間の男優から可愛い子ちゃんの母親が倒れた事を聞いた父は試合後、なんとユニフォームを着たままタクシーに乗って病院へ駆けつけるのである。そして、待ちに待った再会を果たすものの、可愛い子ちゃんの様子は「しょぼたれたかっこう」そのモノだったと言う。
看護婦さん曰く、「眠れず、食べれず、泣いてばかりの3日間でした」。
母は真っ青な顔でどろんとした目をしてその下には大きなクマが出来ており、今にも倒れそうな状態。何回も食事に出ようと手を差し伸べるが、「早く帰って下さい」と父の誘いの手は振り切られるばかり。しかし、やっとの思いで再会を果たした父なのでそのまま引き返すには男のプライドが許さない。
「俺が嫌いなのは分かるけど、そんなんじゃ、あんたまで倒れちゃうよ。明日からは絶対来ないから、夕食だけ奢らせてくれ」と大胆な行動に出る。そして母の手を無理やり引っ張りタクシーに乗せて高級ホテルのレストランへ連れて行き、当時にしてはべらぼうに高いステーキを食べさせたという。更に喉が渇いたと言い出す母に「ジン・トニック」を注文してあげるが、「一気飲み→3杯もお代わり→失神」という始末に。
何しろお酒を一度も飲んだ事がなかったお嬢様である。当然、母がどこに住んでいるのか知らない父は仕方なくホテルの部屋を取り、「失神女子」をベッドに寝かせて大人しく帰宅。そして、次の日の朝、体調を取り戻した「元失神女子」を迎えに来ては親切にタクシーに乗せて病院へ戻したそうだ。
その後の父はというと、「明日からは絶対来ない」宣言など何ぞ、毎日朝から晩まで病室に付きっ切りで、夕食の時間になるとご飯を奢るという形的にはデートにも見えそうなムードを作っていたそうだ。そして世間知らずの女の子は徐々に心を開くようになり、父は「怖い山賊」から「親切なアジョシ」へ一気に好感度アップを果たすのであった。
一方、一週間ほど生と死の境界を彷徨っていた祖母は奇跡的な回復力で昏睡状態から覚める。
そして、一人娘の横に突っ立ている身知らず男を発見しては「このどデカイ『盗賊』みたいな人はいったい誰じゃ?」と叫び出したそうだ。
『怖い山賊』からやっと『親切なアジョシ』にイメチェンした父が再び『盗賊』にランクダウンされた瞬間でもある。
結婚はタイミングなのだ
無事に退院して元気を取り戻したお母さんに一人娘はその間の経緯を一々丁寧に説明する。
「あの人ね。お母さんの看病に付きっきりで、職場(チーム)での実績(成績)が落ちたらしくて、上司さん(監督)に毎日叱られていると友達の◯◯ちゃんが言ってたの」
そこにはひとえに「怖い山賊」をかばっている娘の姿があった。そしてその異変に気付いた祖母は娘の結婚を真剣に考えるようになった。自分はいつ死ぬかも分からない。その後の娘の人生を考えると早く結婚をさせるのがベストではないか。では娘の結婚相手として目をつけているあの『盗賊』がどんな人柄の人間なのか裏調べをしないといけない。
あらゆるコネを使って手に入れた父の評判は下記の3点。
① 呑んべいだけど、人は優しい
② 有名な選手なので一般人より稼ぎはいい
③ いずれ引退をしても監督になれるので飯には困らないはず
祖母はオーディション番組の審査員みたいな厳しい目線と鋭い分析力を元に一大決心をする事に至る。そして父を家に招き、娘がいる前でびっくり仰天の提案をするのだ。
「あのですね。うちの子は生まれてこの筋、家事らしき事をしていません。私も体がこんなんでもう働けないと思います。あんたも韓国には身内がいない事だし、3人で一緒に暮らすのはどうですか?家事は私が全部してあげるわ。結婚したら、うちの子は子育てに専念して、あんたは一生懸命稼いでくればいいんじゃないの。どうですか?」
父は満面の笑みで「OK」を出す。母は恥ずかしそうに微笑む。祖母は幸せそうに喜ぶ二人を後にし、庭に出て空を見上げる。きっと過ぎた半世紀間の記憶が頭をよぎっていたのだろう。
それぞれ新たな人生の転機を迎えた、ハルモニ(할머니)、オンマ(엄마)、アッパ(아빠)。
この3人は1年後に『ひとつ屋根の下』で一緒に暮らす事になるのだ。