【第28回】バブル経済の日本

1990年3月。正確に言うと、30分後にウェイターデビューを控えていた、とある金曜の夜。僕は先輩の李さんに連れられて、六本木交差点から少し離れた場所の見知らぬ建物に入って行った。そこは男性従業員たちの更衣室として使われていたワンルームマンションの一室だった。

大人の男性が3人入ったら、ぎゅうぎゅう詰めになりそうな狭い部屋。壁際には洋服屋でよく見かける陳列棚があって、そこには白いワイシャツや黒のベストとズボン、蝶ネクタイなどがサイズ別にきちんと置かれていた。

僕は李さんの指示通り、空いているロッカーの扉に「裵」と書いた名札を差し込んだ。そして生まれてはじめてウェイターの制服を身につけたのだが、上半身の着心地は悪くなかったものの、どうも足首の辺りが「スースー」する↓

마이클

「ん? それが一番長いヤツだけど、短いのか?」李さんはちらっと見て、「来週の月曜まではそれで我慢するしかないな」と、可笑しそうに笑っていた。しかしファッションにはそれなりのこだわりを持っていた19歳の青年にはショックすぎる出来事。いやいや、とてもじゃない緊急事態であろう。

僕は思わず「こんなマヌケな服装ではとても働けません。自分の足の長さにぴったりのズボンが届く月曜から出勤します」と本音をぶちまけたかったけれど、言葉も通じない国で不法就労に臨む一介のガリガリ青年が到底言えるセリフでないのは百も承知だった。

まあそんな調子で顔を真っ赤にして立ちつくす僕を冷ややかな目で見ていた李さんは「そんな小さいことでぐずぐずするな!それじゃ店に向かうぞ」とタバコをくわえたままさっさと部屋を出て行ってしまった。

いざ外に出たら僕の服装なんぞ気にする人間は誰一人いなかった。というか、むしろ僕が六本木の街を歩いている人々の表情に気を取られて、短いズボンの惨事など忘れてしまっていた。

更衣室からお店まで歩くわずか10分間。僕の前を通り過ぎて行く、幸せに満ちている顔たちとその高揚感溢れる街の雰囲気を感じていると、つい1週間前まで暮らしていたアルゼンチンでの記憶が蘇って来た。

史上最悪の経済危機に陥っていたアルゼンチン。例えば今日1本100円だった牛乳が明日には200円、明後日には300円、1週間後には1000円に跳ね上がるといった殺人的なインフレーション。倒産した銀行の前で頭を抱えて泣いていた老人たち。

それに僕が通っていた公立高校では、教師のストライキによる休校が年がら年中だった。その理由は安すぎる給料と言われていたが、あの国の教師たちは一ヶ月に100ドルほどの金を貰って生活していた。日本円で換算すると約1万円になる。

そしてその100ドル(1万円)という金額。これから日本で不法就労に挑む僕は、たった1日で稼ぎあげることができる。飛行機で30時間余り離れてきただけなのに…。日本とアルゼンチンの経済のレベルの差が、両国に住んでいる人々の表情から街の雰囲気まで明確に変えていることに気づいた。

ほんの少し複雑な気分になったが、いつの間にかお店が入っているビルが見えてきた。

「僕は恵まれているのかもしれない。少なくともアルゼンチンの教師たちよりはな」。たぶん、こんなことを思いながら、焼肉店の勤務初日を迎えたような気がする。

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マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
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