コーディネーターって何?Part⑥

僕が10年に及ぶ日本滞在期にピリオドを打ち韓国へ帰国したのは2001年の2月。当時は2002W杯共同開催を1年前に控えた時期。それに伴い日韓の友好関係も過去に例がないほどの盛り上がりぶりを見せていた。「近くて遠い国」とは何ぞ韓国と日本のテレビ局は競争をするかのようにお互いの国で取材やロケを行った、その時代。僕は日本メディア専門コーディネーターとしての道を歩み始めたのである。

憧れの芸能人

松本人志
ビートたけし
明石家さんま
木梨憲武
大竹まこと

上記のリストはコーディネーターの仕事を始めた頃、頭に真先に浮かんだ芸能人の方々の名前である。日本に滞在していた頃から憧れていたこの5名の方と出会える日がいつか来るかも知れない。当時は単なる希望に過ぎない話だと思っていたが、意外と早いタイミングであの方に出会えるチャンスが訪れる。

僕の記憶が正しければ、数ヶ月に及ぶ見習い期間を終えて、やっと小規模のロケの仕事をこなせるようになった2001年の7月のある日。

社長 おい。ヒョンソク。部屋に来い。
  おっす!(光の速さで社長室へ)
社長 いいか。この俺も未だに経験のないドデカイ仕事が入って来たぞ。来週、日本のスタッフさん達が打ち合わせに来るのでこの企画書をちゃんと読んで熟知しとけよ。分かったか?
  はい!頑張ります!

何らかの特番と書いてあった某テレビ局の企画書に目を通すと見覚えのある二人の出演者の名前が載っていた。そ、それは、な、なんと、「松本人志」「中居正広」だったのである!!

まさか、こんなに早くあの松ちゃんに会えるチャンスが来るとは・・・
やったぜぇ!コーディネーター万歳!俺、頑張るよ〜

そして、僕はウキウキ度100%で打ち合わせの日を迎える。

センシャって、あの戦車の事?!

日本の制作チーム5名、韓国側は社長と僕の他にもう一人、そして韓国の美術チームの2名が参加した制作打ち合わせは企画内容の説明で切り出されて、中盤以降はパート別の細かなチェックへ。

なんせ、社内では経験の浅いペーペーだった僕は社長をアシストしながらメモを取り通訳をするとかの雑務役だったが生まれて初めてお笑い番組の制作に関わっている喜びでとにかく意欲だけは充満してた。

そして番組内の各コーナーの説明が一通り終わった時点で総合演出の方が信じられない事を言い放つ。

総演 現地の美術さんに尋ねたいですが、センシャって作れますか?
韓国側一同 ・・・・・・・・・(唖然)
美術 は?セ、センシャってあの戦車の事ですか?
総演 そうです。戦争映画でよく見かける本物そっくりの奴を作って欲しいです。あ、モーター付きでちゃんと動く奴を。
韓国側一同 「な、なんだと!?模型でもない本物の戦車を?!」
美術 う、はぁ、あの、まぁ、予算があれば作るのは問題ないのですが・・・休戦状態であるこの国の一般道路で戦車を走らせるのはそもそも無理がある話かと・・・
総演 その辺は問題ないです。某ホテルの敷地内の道路を使わせて貰う予定です。ホテル側からは既にOKを貰っていますよ。

おやおや。これは想像を絶するブロックバスター級のロケではないか。間違いなく本物そっくりの戦車を使ってあの二人を驚かせるドッキリ的な場面を演出したいのであろう。ここ10年間、数々のお笑い番組を渉猟して来た僕には見え見えの展開だぞ。むふふ。

さらに総合演出さんは10月〜11月中旬までにソウルでロケを行い、年末特番としてオンエアーする予定だと言う。従って9月末には最終チェックを兼ねたロケハンを行いたいと付け加えるまで話がまとまり、その後は焼肉屋でワイワイタイム。日本のスタッフさんとお笑い番組の話で盛り上がり、チャミスルをバカみたいに飲み干した14年前のあの日の事を今でもハッキリと覚えている。

次回へつづく

ABOUTこの記事をかいた人

マッコリマン
tomodachinguのソウル本部長です。
主に企画をしたり、取材をしたり、文を書きます。
「韓国のこんなことが知りたい」という方はメール下さい。