小学生の頃は男の子のロマンとして中高生の制服姿にすごく憧れを持っていた。だが、中学に進学する1983年になって、いきなり教育部(文部省)が『頭髪&制服自律化』の施行を発表。僕は普段着のまま中学の入学式に臨んだ『第一世代』の仲間入りを果たしたのである。
当時の韓国は小学校と大学以外は男女共学がほとんどなかった時代。だけど僕が進学した私立中高には、同じ敷地内に『男子中–男子高–女子高』が建物3棟に分かれている構造になっていた。
それに男子中高には全国で1〜2位を争うと言われるアイスホッケー部があり、放課後になると正門の前でキャーキャーと騒ぎ出す追っかけ隊の女の子たちがいつも群がっていたのを覚えている。
僕と同じ世代の子たちは『第2次ベビーブーム世代』と称されていたが、それにふさわしく一つのクラスには70人の学生たちがぎゅうぎゅう詰めになっていたのだ。
一学年ごとのクラス数は10組。男子中だけでの総学生数2100人。単純計算をしても全校で約6000人の学生が在籍していたことになるが、少子化問題で騒がれている今の時代には考えられないほど大人数だったのは言うまでもなかろう。
過剰な成績優先主義
小学校と明らかに雰囲気が違ったのは何かって言うと、学生達も学校側もいっそう学業成績に敏感なところ。
分期別に行われた大掛かりの定期試験週間が終わると教室の後ろには1位〜70位まで全学生の名前が載った成績番付が貼り出され、さらに廊下にあった学年掲示板にも1年生全体の成績番付が100位まで発表される始末。
まぁ僕は小学時代同様、勉強には1ミリの興味もなく、100位内に入れなくて悔しい顔をするクラスメイトの子を横目で見ながら、洋楽雑誌に載っている『ビルボードチャート』1位から100位までの曲名とアーティスト名を熱心に暗記していた。
中高生で溢れ出す東大門の名所
世の中の学生達が学校の成績に気を取られている中、中学生になったらどうしても行ってみたいと目をつけていた場所があった。
そこは当時の中高生たちの間で絶対的な人気を誇る娯楽の聖地であり、大人のいないパラダイスで、ストレス解消の場でもあった『東大門ローラースケート場』⇩
中学の最初の定期試験が終わった日。僕はクラスメイトの子たち3人と一緒にウキウキ気分で東大門へ駆けつけ、念願の『ローラースケート場』デビューを果たす。
室内は想像した以上に広々としたスペースで、当時流行っていたテンポのいい洋楽がバンバン鳴り響く中、ざっくり数えても300人の中高生たちが爽やかな表情でローラースケートをしていた。
男女の割合は7:3で、圧倒的に野郎どもの方が多い。それにどう見ても同年代の女の子は少なく、だいてい不良っぽい雰囲気を漂わせる女子高生のヌナたちが殆ど。
あ、なぜ不良って分かったのか?
まぁ僕は大体『ガムを噛んでる音』でヤンキーなのか真面目な学生なのかを見極める癖があった(笑)。
『긴기라기니・ギンギラギニ』
しかしスポーツは野球しかやったことがない僕はローラースケート靴を履くのも初体験。華麗に50回ほど尻餅をついてやっとバランスが取れるようになったものの、ついぐったりしてしまいコーラを片手に一息入れようとベンチに腰を下ろした途端。
なんと聞き覚えのある『日本の歌』が流れ始めたと思いきや、あっという間に室内の高揚感がピークに達する。そして室内にいたみんなは約束でもしたかのように両手を振りながら歌って踊っての大騒ぎ。
皆さんも気になったのであろうその日本の曲はマッチの『ギンギラギンにさり気なく』だった。
僕も家のステレオでよく聴いていたその曲が終わるとベンチの隣に座っていたヌナがいかにも不良っぽい口調でこう言い放った。
「あのさ、今の『긴기라기니・ギンギラギニ』は最高にいい曲だけど、音質汚くね〜? 超むかつくよね〜!」。
僕 あの…失礼ですが先の曲のタイトルは『긴기라긴니사리게나쿠(ギンギラギンにさり気なく)』で、歌ってる人はマッチと呼ばれる『곤도마사히코・近藤真彦』っていう歌手ですが…。
ヤンキー おい、そこの『멀대・モルテ』。何偉そうなこと言ってんの? 曲名とか歌手名はどうでもいいんだよ〜。『긴기라기니』で何か文句でもあるわけ?
멀대(モルテ):背が高くてぼんやりした人を冷やかす言葉。
僕 (どうやら韓国内では긴기라기니で通されてるらしいな…)あ、別に文句はありませんが…音質が悪いのは海賊版のカセットだからです。決して自慢じゃないけど、うちの父ちゃんは『긴기라기니』のオリジナルカセットテープを持ってますよ。
ヤンキー えっ、マジで? 嘘ついたら怒るよ。あのさ、来週『긴기라기니』のオリジナルカセットを貸してくれたらトッポッギを腹いっぱいになるまで奢ってもいいじぇ〜。
僕 (これはいい商売)了解っす!
トッポッギは奢られたのだが…
次の土曜日。僕は父の自慢のコレクションの中から『긴기라기니』のカセットテープをこっそり持ち出して東大門へ出向き、約束通りヤンキーヌナに貸してやったのだ(一週間後に返してくれる条件)。
そしたら、ヤンキーヌナは大いに喜び、外の屋台でトッポッギとスンデを言葉通り「お腹が裂けるまで」奢ってくれたのである。
が、次の週も、2週間後、3週間後も、あのヤンキーヌナはローラースケート場に姿を見せなかった。
「あ、やられちまった…」と肩を落とした僕は父にバレることなく歳月が過ぎるのを祈るしかなかった。
その後、縁起の悪いローラースケート場には2度と行くものかと思っていた僕だが、とあるラジオ番組のイベントで知り合った可愛い女の子に誘われて約3ヶ月ぶりに再訪問したところ。なんとあの貴重なカセットをかっぱらったあのヤンキーを発見!
「ちょっと、早くカセット返してよ」と言ったら、「いやいや、ごめんなー。実はさ、あのカセットを学校に持って行ったらみんなに貸してくれと言われてさ…」と来たのだ。
どうやら、あのマッチのカセットはヤンキーのクラスメイト全員の手に渡された挙句、隣のクラスの子の知り合いの親戚の友達が住んでいる春川まで流れてから行方が分からなくなったらしいのでため息しか出ない状況。
そして、その何ヶ月後。
野球シーズンが終わり、久々に家でのんびりしていた父が急に「ちょっと、誰がマッチのカセットどこにあるか知らないのか? いくら探してもないんだよー」と『긴기라기니』を探しまくっていたのだ。
僕はとぼけた顔をしつつ、部屋にこもって一生懸命勉強をするふりをしながら冷や汗を流す毎日を送らねばならなかった1983年の冬の悲しい物語りである。
1998年、根からの平和主義者だった(故)金大中大統領は長年禁じられていた日本文化の解放を宣言。その後、あれこれの揉め事を経て、2004年になってからやっと日本文化の全面解放が実施される。それまでの長い間、韓国の若者たちはマッチ、X-JAPAN、スマップなどの音楽を音質の悪い海賊版のカセットで聴くしかなかった。今はもう見ることのない海賊版カセットの屋台。当時は大人気で、正式には累計できないというが約20年間全国でおよそ何百万本のカセットテープが売られていたと噂される。